TOT /// Taste of Tea

岡山で暮らす編集者日記

整理をしていては前に進めない。

岡山から帰ってからずっと、ずっとずっと整理をしているような気がしている。いや、している。4年前、2015年4月に広報として岡山の会社に入ってからやっていることはずっと「整理」だと思う。

会社案内や社内報を作るにあたっても、CMを作るにあたっても、製品カタログを作るにしても、編集というよりもまず「整理」。これが編集より先んじることはまずない。そして会社が持つコンテンツの整理もずっと進めてきた。

コンテンツと横文字でそれっぽくいっても内容は大したことではなく、
単純に会社の広報画像の整理、ファイルの名称統一、共有フォルダの整理、カタログデータの表記統一、HPの制作、取扱説明書の見直しなどなど細かなことばかりだけど、あるときは広報担当として、あるときは経営企画室という各部署に横断的に関わる部門のメンバーとして。会社概要の作成、社歴の整理、グループ会社や会社の住所情報などテキストデータの整理…等々、振り返ってみると、かなり様々な情報を整理することができてきたんだなぁ……。しみじみします。
 
そして、その整理された情報はいつでも引っ張り出せる状態に整えなければならない。
これがPC人間ばかりではない会社なのでとても辛い。難しい。
社内共有(必要なメンバーのみに。必要なレベルの情報を。)の方法については、会社のメンバーとずっとここ2、3年、模索し続けてきた。会社として、というより、”委員会”っぽい動きとしてなのであまりスピードは出ていないけれど、様々なシステムのサービスの登場で、社内情報のイントラネット化は今年こそは推し進められるんじゃないのかな〜と考えています。Slackはデスクワークの人間にはいいけれど(実際めちゃ活用できている)、現場には掲示板が一番いいよね……とか、最先端と時代遅れが共生している会社なのでまだまだ勉強が必要そうです。圧倒的に人手が足らないけれど、粛々とデータを整理し、そしてそのデータを運用するところまでは、根気よく……続けたい。

整理してきた社内で共有すべきデータの・・共有。
これが2019年の希望の1つめ。
2020年は「その分析、そして分析結果のこれまた共有」に取り組めるように。
まずは情報の交通整備、これが一番の目標です。
 
そんな中、今年から新たに考えてみたいと思っているのは、
採用というよりも教育です。
人事的なことではなく、私が取り組みたいのは「教材づくり」です。

ここ4年で、理系の書物には”編集”がなさすぎる〜〜〜と痛感しました。
先人の名だたる編集者たちは、誰もココを耕していません。よっぽどお金にならないのか、よっぽど面白くないのか、よっぽどわかんなくて辛いのか(私はこれだ)、BtoCに編集の力が割かれすぎている気がします。ドイツの建機メーカーのカタログや取説ですら、結構デザインとかそもそも編集が適当なのでちょっとがっかりするのです。機械はあんなにかっこいいのに。

しかしながらハードルはベラボ〜に高い。なにせ自分が技術的なことが何にもできないのです。溶接、組み立て、補修、分解、全部やったことない。でもそんな人間がどこまで、というかどうやって技術者の技術を、伝わる簡単な言葉・文章に変換していくか。(やってみるしかないかなと思っていますが)
そんな課題はどの企業も抱えていることだろうと思うので、くじけずに理系ライターさんの発掘や、インフォグラフィックスの採用、色々取り入れて立ち向かってみたいと思います。

ちなみに今、油圧業界にあるのは「知りたい油圧」という鬼カタ〜イ本しかない。知りたいけど私は知ることができない(笑)。読めねえ! 理系論文を正確に読み解くことができる”理系脳”な人しか、そしてそういった仕事に携わる人が仕方なく根気と熱意で解読するしかないような本しかない(いや、でもこの難解さが必要なのかも知れない)。建機メーカーの広報紙はちょっと編集の力が入っているので、社内の教材にも使われているのかなぁと想像してます。超理系脳がなくても、単に、この業界に興味を持てる機会を増やすことに貢献できたらステキだなぁ。

 



仕事の話ばかりになってきたけれど、プライベートでも整理の呪いがあります。
手帳やノートとの向き合い方の整理、服の整理、本の整理、整理整理整理・・・で
本人はどうなってるかというと、

私は整理にとうとう飽きました・・。

それでも去年までは、「そうやって整理していたら、いつの間にか前になぜか
進んでるはずだ。」と思ってやってきたし、実際そうでした。
かなり視界は開けてきた。けど、もうこれ以上は整理で立ち向かえることではないし、
今あるものをベースに整理・肉付けするんじゃなくて、
「ゼロ」から作り上げていきたいなと思います。
正しい方向ばかりでは息がつまるのですぜ。

 

2019年 やること成すこと&モットー
・整理した情報の共有化。情報脈の形成。
・教材についての勉強始め
・仕事は楽しく、面白く!
・整理はほどほどに!

本年もよろしくお願いいたします!

ここ最近のもやもやの正体。

この歳でまだ悩むことなのだろうか!と思うのだけれど、工場勤務の早朝シフトになかなか(ってか全然)慣れず、ズルズル3年半。それでも以前の職場の時に比べれば全然早起きなのでありますが、工場ナメんな早朝7時半出勤、私が達成できたことは数回しかないのではないだろうか…。
最近読んだアドラー的には朝起きないと自分が決めているから起きないだけ、とかいう解釈になるし、とはいえなぁ…とくよくよ朝間に合わないことに悩んでいたのだが、元ココイチの社長さんの講演で、「昭和の人間は人よりたくさん働いてたんですヨォ。朝3時にはもう起きてる、早起きができないなんて根性が足らないんですよ、その程度の努力なんてことない」、みたいなことをおっしゃっているのを聞いて、なんとなく目が覚めたような気がしたのです(寝てて起きたわけちゃうで)。
朝起きるところに共感したのはでなく(チャウンカイ。)、働く量。
自分の働く量がめっちゃ減っていた。サボってない。フルで働いてる…と思っていたけれど、これまで勤めてきたところでは休日返上で働いていた。でも最近は休日はちゃっかり会社のカレンダー通りお休みをもらって、しっかり休んでいたのよね。となると、105日は休むことになる。以前は1年間で30~50日休みましたかねぇ…という仕事量だったので、そりゃ今の仕事の進み方が超絶スローになっているわけで、進まないな…と焦るばかりなのである。
 
起業しているわけでもないからココイチの元社長さんみたいに死ぬほど働かなくてもいいのかもしれないけど、やっぱり死ぬほど働かないと気持ちが悪いのか。お肌の艶が、結婚が、体調が…って色々言い訳しながらスローなペースで仕事をしてきた自分がなんとなく惜しい。

夜中のほうが捗るけれどここらでやめて寝るとして、昭和の女はやっぱり人より働かないと気持ち悪いんかなあ…。自分のせっかちさに自分でこたえられていなかったのでしょうね。まさかの自分の回答に自問自答であります。これで頑張りすぎて心を壊す・・・みたいな人もいるしねぇ。ということでガシガシとラフが書けました。久々に眠いけど気持ちいいです。明日は素材集めとデザイン入れ。デザイナーさんよ、ようやくエンジンかかってきたから待っててください。緩めず行けそうよ。

万年筆との逡巡/曇天野外

私の一本!に出会うまで色々試してペン先や、万年筆自体の仕組み…などを勉強してきたけれど。結局、kawekoのパケオという一番下から2番目のものが気軽に使えてよいみたい。2000円くらいのもの。いまのところガシガシ何にでも使っている。ラフを書いたりするのにちょうどいい太さなのかもしれない。でペン先はF。ペン先はシルバーより黒い素材の方が柔らかいのかな。しかしプラスチックのボディなので、なかなか気分は上がりづらい。
カランダッシュのEFはなんだかだめだ。書いたときにインクの跡が不自然になる。最後に溜まりすぎる。インクの色を変えたらまた気分が変わるのかもしれないがしばらくcosmic blackでガマン。ガリガリ書いてたらペン先も柔らかく慣れてくるかなと無駄に試し書きを重ねる。一番上のkaweco sportのペン先はM。これもインク色をブルーに替えて気分を変えよう。赤系のインクも挑戦してみようかしら。

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そんなことよりも、鳥取浜村温泉で開催される?曇天野外というイベントがえらい面白い。SNSでこればかり追ってる。イベントもそうだけど設営の人たちが…前田文化の装置なにあれ…ってなりました。最高。
そして晴天中止というコンセプトもかっこいい。晴れの国岡山では実施不可能なイベントやなぁ。晴天の下、どんな顔してやめるのか想像がつかない。

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www.makuake.com

岡山の編集者の日記ー普遍編始動ー

EDITER'S DIARY in OKAYAMA

というブログを始めたかったのだがしかし。
とてもではないが田舎でそんな横文字でナイスな日記を綴ることができるワケがないべ、というひるみも少しはあったのではあるのだがだがだがしかし。ローカルなりにかっこいい風景が岡山には散らばっているので、そんな風景を少しでもここに残せたらなと思って更新するものである。

またイチ、現代を生きる編集者としてデジタルツールを駆使した編集方法をとってきている筆者ではあるが、元はといえば学級新聞、自由研究新聞を作るのが心の底から大好きで、地味で緻密な作業をしつこくすることが特技であるのもまた筆者である。
手書き・手貼り⇨コピーしたものこそが自分の、いや人類にとっての印刷物・編集物というものであったにちがいない、という仮説に基づき、正しい道のりを通ってきたと思しき、編集作業の過去に迫りたい。

このページは印刷された情報、情報が印刷された紙を日々追いかける、
岡山を拠点にせざるを得ない編集者Aの備忘録であり、
編集のプリミティブな行為・実態を追い求める思索とフィールドワークの
出会い頭のばったり鉢合わせ事象の記録でもあるがゆえ、

やはり

EDITER'S DIARY in OKAYAMA

風(ふう)なページをつむいでいけるかもしれない。知んない。
編む行為は紙の上でするのが行儀、であると思っているため、フリーペーパーも結果作ることになればいいと思っている。がそれは行きがかり上で。
2018.11.4 文化の日の次の日、大安、スタートです。